幕末の農兵調練に始まり、今も三島市の三嶋大祭りで披露される伝統芸能「農兵節」。その衣装として着用される農兵笠(がさ)の職人がいなくなり、30年ほど前から作られていない。現存する農兵笠は徐々に減り、「このままでは完全になくなってしまう」。そんな危機感を抱く関係者が6月、会員制交流サイト(SNS)で農兵笠の製造に関する情報収集に乗り出した。
三島農兵節普及会によると、農兵節のルーツは1850(嘉永3)年。韮山代官の江川太郎左衛門英龍(坦庵)が組織した農兵の調練で、行進曲として歌い始めたとされる。大正期は掛け声を交えた「ノーエ節」として広がり、昭和初期に歌詞や踊りが付けられて農兵節に改められた。1934(昭和9)年のレコード発売で全国的に流行し、同市では昭和30年代から夏祭りで披露されている。
農兵笠は、幕末の農兵がかぶっていた韮山笠を模して作られた。紙を細くしたこよりを編んで作る韮山笠よりも通気性が良く、折りたためて持ち運びにも便利。現在も残る農兵笠は90個ほどで、普及会の会員が練習や祭りで着用している。
ただ、農兵笠は平成初頭を最後に作られていない。普及会の事務局を務める三島観光協会の山口賛事務局長(63)によると、「作り手がいなくなり、材料と染色方法が分からない」。傷みも進み、祭りの際に点検すると数個が使えなくなっている年もあるという。
危機感を抱く市郷土文化財室の寺田光一郎さん(56)は6月下旬、「作れる人知りませんか。製造者探しています」とフェイスブックで呼び掛けた。東京五輪に向けて小池百合子都知事が暑さ対策として笠型の日傘をかぶったこともあり、SNS上では注目を集めているという。芦川忠利室長(57)は「伝統的な農兵笠がなくなっていくのはさみしい。何とかならないか」と協力者を募っている。