東京・豊島区の雑司が谷に、江戸時代から受け継がれてきた小さな郷土玩具があります。
その名は「すすきみみずく」。
ススキの穂を束ねてミミズクの姿に仕立てた、素朴で愛らしい人形です。
雑司が谷鬼子母神ゆかりの縁起物として長く親しまれてきましたが、実は一時、最後の職人の廃業によって消滅の危機を迎えていました。
現在は「雑司が谷すすきみみずく保存会」を中心に製作技術が受け継がれ、地域の文化として守られています。2017年には「すすきみみずく製作」が豊島区の登録無形文化財にも認定されました。
この記事では、
- すすきみみずくとは何か
- どんな意味やご利益があるのか
- 雑司が谷鬼子母神との関係
- なぜ消滅の危機に陥ったのか
- 保存会はどのように復活させたのか
- 現在どこで購入できるのか
まで、すすきみみずくの歴史と物語をわかりやすく紹介します。
すすきみみずくとは?
すすきみみずくとは、ススキの穂を束ねてミミズクの形にした、東京都豊島区・雑司が谷に伝わる郷土玩具です。
ふわりと広がったススキの穂がミミズクの羽毛のように見え、丸みを帯びた胴体と大きな目が特徴です。
雑司が谷鬼子母神の参詣土産として江戸時代から親しまれ、安産・子育て・健康を願う縁起物として人々に大切にされてきました。
日本玩具博物館によると、昭和30~40年代ごろのすすきみみずくは、数本のススキを丸く束ね、キビガラなどを使った目や竹片のくちばしを付けて作られていました。
華やかな工芸品ではありません。
しかし、自然素材だけで生み出される表情には、一つひとつ手仕事ならではの温かさがあります。
すすきみみずくは現在も買える?
すすきみみずくは現在も受け継がれており、雑司が谷案内処などで販売されています。

豊島区も2025年6月の公式情報で、雑司が谷鬼子母神の参拝土産として現在も販売されていることを紹介しています。
雑司が谷案内処でも、すすきみみずくをはじめとした雑司が谷の郷土玩具の展示・販売を案内しています。
手作り品のため、訪問時期によっては在庫や販売状況が異なる可能性があります。購入を目的に訪れる場合は、事前に販売状況を確認しておくと安心です。
すすきみみずくの由来|少女「おくめ」の伝説
すすきみみずくには、雑司が谷鬼子母神に伝わる一つの物語があります。
登場するのは、「おくめ」という少女です。
昔、おくめは母親と二人で暮らしていました。
あるとき大切な母親が病気になります。しかし家は貧しく、十分な薬を買うことができません。
母親の病気が治るよう願ったおくめは、雑司が谷の鬼子母神へお参りを続けました。
そして満願の日。
疲れ果てて眠ってしまったおくめの夢に蝶が現れ、**「ススキの穂でみみずくを作り、それを売りなさい」**という趣旨のお告げを授けたと伝えられています。
目を覚ましたおくめは、お告げの通りにすすきみみずくを作って売りました。
するとみみずくはよく売れ、そのお金で薬を買うことができ、母親の病気も快方へ向かった――。
これが、すすきみみずくの由来とされる物語です。
鬼子母神の公式サイトでも、この「すすきみみずく物語」が紹介されています。
すすきみみずくに込められた「自分で行動する」という教え
この物語で重要なのは、単なる「願えば奇跡が起きた」という話ではないことです。
鬼子母神が直接、母親の病気を治したわけではありません。
おくめ自身が、
祈る → お告げを受ける → みみずくを作る → 売る → 薬を買う
という行動を起こしたことで、道が開けています。
かつて保存活動を進めた近江正典住職は、そこにすすきみみずくの本質があると考えました。
神仏への祈りだけでなく、願いをかなえるために自ら努力することの大切さ。
すすきみみずくは単なるかわいらしい土産物ではなく、そんな精神を後世へ伝える存在でもあるのです。
江戸時代から親しまれてきた雑司が谷の名物
すすきみみずくの歴史は古く、江戸時代にはすでに雑司が谷鬼子母神の名物として知られていました。
日本玩具博物館でも、江戸後期ごろから安産・子育て・健康のお守りとして親しまれてきた東京を代表する郷土玩具の一つとして紹介されています。
当時、雑司が谷鬼子母神は江戸の人々にとって人気の参詣地でした。
参拝した人々が持ち帰る土産物として、すすきみみずくも広がっていったのでしょう。
ところが、長い歴史を持つすすきみみずくに、やがて大きな危機が訪れます。
すすきみみずくが消滅の危機に陥った理由
最大の問題は、職人の高齢化と後継者不足でした。
すすきみみずくの後継者問題は、昭和40年代にはすでに新聞で取り上げられるほど深刻になっていました。
そして2010年、最後の職人とされていた音羽家の岡本冨見さんが廃業。
長く受け継がれてきたすすきみみずくは、製作を続ける職人がいなくなるという大きな危機を迎えます。
一見すると、
「作り方を誰かに教えればいいのでは?」
と思うかもしれません。
しかし、そこには伝統工芸ならではの事情がありました。
なぜ職人たちは作り方を簡単に教えなかったのか
かつてのすすきみみずく職人たちは、製作方法を簡単には他人へ教えなかったといいます。
背景にあったのは、単なる秘密主義ではありません。
中途半端な技術で作られた模造品によって、すすきみみずくそのものの価値や評判が損なわれることへの危機感でした。
かつて雑司が谷鬼子母神堂の境内には、江戸時代創業の駄菓子屋「上川口屋」があり、そこでもすすきみみずくが販売されていました。
すすきみみずくを作った職人の一人、飯塚さんは、長い年月をかけて技術を磨いた人物だったと伝えられています。
10年作り続けてもなお一人前とは認められないほど、職人の世界は厳しいものでした。
ふっくらとした胴体。
ススキを束ねる強さ。
左右のバランス。
目やくちばしの位置。
シンプルに見えるすすきみみずくだからこそ、ほんのわずかな違いが完成した表情を大きく左右します。
その技術は、数日の講習だけで身につくものではなかったのです。
後継者になるため職人が示した「4つの条件」
1972(昭和47)年4月15日の朝日新聞東京版では、すすきみみずく職人だった大沢巻太郎さんが後継者不足について語っていました。
大沢さんは、若者が作り方を習いに来ても、数日すると来なくなってしまうことを嘆いていたといいます。
さらに、技術を十分に身につけないまま作られた「まがい物」が出回ることも懸念していました。
そこで、後継者へ技術を教える条件として示していたのが次の4点です。
- 近くに住み、毎日通えること
- 趣味ではなく本気で取り組むこと
- 従来の型をきちんと受け継ぐこと
- 歯を使った作業ができること
ここから見えてくるのは、
「作り方を秘密にしたかった」のではなく、「本気で伝統を継ぐ人にだけ伝えたかった」
という職人たちの思いです。
すすきみみずくを守ることは、単に同じ形の人形を作り続けることではありません。
技術と姿勢まで含めて受け継ぐことだったのです。
消滅の危機を救った「雑司が谷すすきみみずく保存会」
最後の職人が廃業し、存続が危ぶまれるなかで立ち上がったのが、法明寺の住職や地域の人々でした。
2010年9月、製作技法の伝承と普及を目的として**「雑司が谷すすきみみずく保存会」**が設立されます。
しかし、製作者を見つけただけではすすきみみずくを復活させることはできませんでした。
なぜなら、すすきみみずく作りには大量のススキをはじめ、さまざまな材料と作業場所が必要だったからです。
復活を難しくした「ススキの確保」
すすきみみずくを作るためには、当然ながら大量のススキが必要です。
しかも、どんなススキでもよいわけではありません。
適切な時期に刈り取り、乾燥させ、加工に使える状態へ整える必要があります。
当時、保存会は豊島区と交流のある秩父地域などの協力を得ながら、材料となるススキの確保に取り組みました。
さらに、
- ススキを刈る人
- 刈り取ったススキを乾燥させる場所
- ススキの皮を剥く作業
- 材料を加工する場所
- 完成品を保管する場所
- みみずくを結ぶ竹などの材料
- 製作を手伝うボランティア
など、多くの人と場所が必要でした。
つまり、一つの小さなみみずくを作る背景には、想像以上に大きな地域の協力があったのです。
職人の技術を完全に再現する難しさ
保存活動が始まっても、昔とまったく同じすすきみみずくを再現できたわけではありません。
特に難しかったとされるのが「目」です。
昔のみみずくにはキビガラなどの天然素材が使われていました。
ところが同じような材料を用意しても、乾燥すると形が変わってしまう。
かつての職人がどのような方法で美しい丸い目を作っていたのか、完全には分からない部分も残されていました。
これは、伝統技術を途絶えさせることの難しさを象徴する出来事でもあります。
一度失われてしまった職人の「勘」や細かな技術は、設計図だけでは簡単に復元できません。
だからこそ、技術を次世代へ伝えることには大きな意味があります。
職人によって表情が違った「すすきみみずく」
興味深いのは、すすきみみずくには一つの完成形しかなかったわけではないことです。
職人によって、胴体の丸みや目の表情、全体の雰囲気には違いがありました。
明治から長年すすきみみずくを作り続けた吉田すずさんの作品は、胴体が大きくふっくらとしており、どこか威厳を感じさせる表情だったといいます。
また、大沢巻太郎・みね夫妻など、かつて雑司が谷には複数の作り手が存在しました。
同じ材料。
同じ「みみずく」という形。
それでも、作る人によって表情が変わる。
そこに手仕事の郷土玩具ならではの面白さがあります。
昔のみみずくには「蝶」が付いていた
古いすすきみみずくには、みみずくを吊るした笹の先に蝶の飾りが付いたものもありました。
この蝶は、すすきみみずくの由来となった「おくめ」の物語と関係しています。
夢の中でおくめにお告げを授けた蝶です。
つまり、みみずくだけでなく蝶まで含めて、あの物語を一つの郷土玩具として表現していたのです。
現在の保存活動では、こうした昔の資料や証言を手がかりに、失われた形や意味をできる限り後世へ伝える取り組みも行われてきました。
すすきみみずく製作は豊島区の「登録無形文化財」に
地域の人々による保存活動は、文化的にも評価されています。
2017年12月、「すすきみみずく製作」が豊島区の登録無形文化財に認定されました。
現在も雑司が谷すすきみみずく保存会が製作技術の伝承と普及活動を行っています。
一度は職人の廃業によって消えかけた文化が、地域の力によって再び次世代へつながったのです。
小学生にも受け継がれる「みみずくの精神」
すすきみみずく保存会の活動は、単に商品を作り続けることだけではありません。
地域の子どもたちへの文化継承にも力を入れています。
豊島区によると、現在も南池袋小学校の4年生を対象に、すすきみみずくの製作体験活動が行われています。
4年生という年齢は、伝説に登場する「おくめ」と重なるともいわれています。
子どもたちは、すすきみみずくの作り方だけでなく、
「願うだけではなく、自分自身で行動する」
という物語に込められた精神も学びます。
技法だけではなく、その背景にある文化や考え方まで伝える。
それこそが、本当の意味で伝統を残すということなのかもしれません。
すすきみみずくが教えてくれる「伝統を残す」ということ
日本各地では現在、多くの伝統工芸や郷土玩具が後継者不足に直面しています。
職人がいなくなるだけではありません。
材料そのものが手に入らなくなったり、原料価格が上昇したり、昔と同じ製法を続けることが難しくなったりするケースもあります。
すすきみみずくも例外ではありませんでした。
昔とまったく同じ材料、同じ技術、同じ形を100%再現し続けることは難しいかもしれません。
しかし、本当に残すべきものは「形」だけなのでしょうか。
少女おくめの物語。
自ら行動することの大切さ。
自然の素材を使って一つひとつ作り上げる技術。
地域の人々が力を合わせて文化を守る姿。
そうした背景まで含めて次世代へ伝えることが、すすきみみずくを残すことなのだと思います。
まとめ|すすきみみずくは今も雑司が谷で受け継がれている
すすきみみずくは、雑司が谷鬼子母神に江戸時代から伝わる、ススキで作られた郷土玩具です。
安産や子育て、健康を願う縁起物として親しまれてきました。
一時は最後の職人の廃業によって消滅の危機を迎えましたが、2010年に「雑司が谷すすきみみずく保存会」が設立。
地域の人々による材料集めや製作技術の継承によって文化が守られ、2017年には「すすきみみずく製作」が豊島区登録無形文化財となりました。現在も雑司が谷案内処などで販売されています。
すすきみみずくの魅力は、かわいらしい姿だけではありません。
そこには、
願いをかなえるためには、自ら考え、行動すること。
という、江戸の昔から語り継がれてきたメッセージがあります。
雑司が谷を訪れる機会があれば、鬼子母神への参拝とあわせて、ぜひ実物のすすきみみずくにも目を向けてみてください。
小さなススキの人形の向こうに、何百年にもわたって受け継がれてきた雑司が谷の歴史と、人々の思いが見えてくるはずです。
