茨城県を代表する伝統工芸品「笠間焼」の海外展開に、県や笠間市が力を入れている。昨年末に英国・ロンドンで販売し、陶器約300点がほぼ完売。1、2月には米国・ニューヨークで展示会を開き、好評を博した。「作家や産地に根付く“自由さ”が輸出に向いている」とバイヤーは太鼓判を押す。国内の伝統工芸市場が縮小する中、「特徴がないのが特徴」とのやゆを逆手に取るように、笠間焼は海外で需要を高めている。(報道部・三次豪)
器にも人にも
「これからは皆さんの出番。笠間焼は海外で人を呼び込む力がある。今がチャンスです」
県陶芸美術館(笠間市)で6月15日に開かれた県と同市主催の勉強会で、ロンドンの雑貨店「ワグミ」店長でバイヤーの牟田園涼子さんが地元作家ら約70人に呼び掛けた。
同店は昨年10〜12月、県と市の後押しで笠間焼フェアを開催。若手からベテランまで多彩な作風の11人の作品を販売した。
牟田園さんによると、英国では現在、自然志向の高まりを追い風にヨガ教室や手仕事が人気を呼び、特に日本の陶器への関心が高まっている。同店は日本の他の陶器や工芸品も販売するが、笠間焼はデザインが多様で、伝統にとらわれない感性を持つ作家が多く、商品仕入れの取引がしやすいという。
「形式張らず、焼き方もさまざま。自由な魅力が器にも人にもあり、客の好みに合わせて需要に応えてくれる。輸出に向いている」。バイヤーの視点から、牟田園さんは笠間焼に太鼓判を押した。
多様な作風
「笠間焼」を名乗る作家や窯元は現在、同市や周辺地域に300人程度いるといわれている。
その歴史は江戸時代中期に始まる。箱田村(現在の笠間市箱田)の久野半右衛門が、信楽の陶工・長右衛門の指導で焼き物を始め、窯を築いた。後に笠間藩の仕法窯(官窯)として保護され、日用雑器として広く普及していった。
戦後、安価なプラスチック製品の流入などで危機に陥った。そんな中、窯業指導所や窯業団地、芸術村が設立され、官民一体で工芸陶器へ転換を図った。
現在、地元に腰を据えて活動するベテラン作家たちは、当時、全国各地から芸術村に「自由」を求めて集まってきた若者だった。彼らは、今や来場者50万人を誇る「陶炎祭(ひまつり)」を手作りで始めたり、米国などに渡航して積極的に展覧会開催に挑戦したりした。他の伝統的な産地と違い、多種多様な作風が交じり、オブジェなどを制作する作家も増えた。笠間焼の「自由さ」はこうして育ってきた。
足掛かりを
自由闊達(かったつ)な笠間焼はさらに進化しようとしている。窯業指導所の機能が見直され、2016年に県立笠間陶芸大学校が開校。全国の新進気鋭の作家らを講師に迎え、若手の育成に励む。
同校1期生で水戸市出身の弓野しおりさん(22)はオブジェ作家を志し、同校で学んだ技術を生かして制作に取り組む。ただ「作品が売れないと生計が立たない。国内だけを視野にしていては難しいかもしれない」と悩みを打ち明けた。「インターネットを使い海外展開も考えたい」と模索する。
こうした若手を後押ししようと、笠間市は勉強会を発足させ、海外展開に注力する。山口伸樹市長は「どんな方法で、どこの国へ輸出したいかなど、挑戦してみたい人は市に何でも提案してほしい。一緒に考え、さらに輸出の足掛かりをつくりたい」と話す。