令和最初の国賓として5月に来日したトランプ米大統領に、天皇、皇后両陛下が贈った円錐(えんすい)形の飾り鉢「瑠蒼釉鉢(るそうゆうはち)」の作者だ。口径57センチの鉢の中に広がるコバルトブルーのグラデーションが美しい。「両陛下が相談して選ばれたと聞いた。陶芸家としてこれほど名誉なことはない」と喜ぶ。
独自に配合した炭酸銅の釉薬(ゆうやく)を素焼きした皿や壺(つぼ)、花器などに塗り、3度焼いて生まれる蒼(あお)だ。「焼く度に徐々に変化する。窯から出すまで焼き上がりは分からず、二つと同じ作品は作れない」と話す。
大学卒業後に陶芸の道へ。小学校などへ陶芸教材を納品する事業を阪南市で始めたのがきっかけだった。土の仕入れで信楽や常滑など著名な陶器産地を巡るうちに「自分でもやってみよう」と、見よう見まねでろくろを回すようになった。26歳のとき知人に誘われて初めて日本伝統工芸展に出品したが落選。東京まで入選作品を見に行くと、伝統の産地や「これぞ焼き物」という作品が並んでいた。
「伝統や歴史もなく陶器の名産地でもない。勝負するなら個性のあるものを作らないとだめだ」と感じた。実家が農家で、身近には畑にまくための農作物の木や葉を燃やした灰がたくさんあった。そこで、灰を釉薬に使って色合いを出す陶芸手法の「灰釉(はいゆう)」に挑戦した。
ある日、50センチほどの大皿を「柞(いす)」という樹木の灰の釉薬で焼いたが、溶け残りが出て失敗。次に焼く窯でスペースが空いたのでもう一度焼いてみた。すると溶けて流れた釉薬が絶妙なグラデーションに。この作品を日本伝統工芸展に出品したところ、入選した。
灰釉の道を究めようと、水ナス、イチゴの葉、桜の木など約60種類を試した。中でも大豆の豆殻の灰を使うと鮮やかな黄色になり代表作となった。
2003年、幼なじみで大学を卒業してから二人三脚で仕事や陶芸に取り組んできた妻の利美さんが58歳で亡くなった。ぼーっとすることが多くなり、仕事も手につかなかった。ある日、主宰する陶芸教室の生徒の女性から「地球は反対には回らないよ」と言われた。「ほんまやな。これでは家内に笑われる」と再び、作品作りに。
これまでとは全く違う焼き物を作ろうと、自然灰ではなく、炭酸銅で創作に取り組み、3年ほどかけて鮮やかなコバルトブルーが出せるようになった。「家内のいる天国、宇宙をイメージして作っています」
最近はプラスチック樹脂の塗料にも使われる素材を使って黄色を加えた「碧黄釉(へきおうゆう)」という作品を作る。「陶芸は模索の連続。常に新しいものに挑戦し、多くの人をびっくりさせたい」