花鳥風月や幾何学文様で、古来よりふすまや屏風を彩ってきた「唐紙」。雲母唐長(きらからちょう、京都市)は日本に残る唯一の唐紙屋として400年の歴史を紡いできた。使うのは先祖伝来の「板木」。版画の「版木」に当たる唐紙の命ともいうべきものだ。ただ昔の模様を使うだけでは生き残れない。唐紙師のトトアキヒコさん(48)は伝統をつなぐべく新たな形を生み出そうとしている。
京都市右京区、百人一首にも出る小倉山の麓にあるアトリエ。トトさんが雲母を含む青い顔料を塗った板木に和紙を載せ、両手で優しく文様を写し取っていく。転写されたのは「花兎(はなうさぎ)」と呼ぶデザインだ。月光の下、波の上をうさぎが軽やかに跳びはねる。「うさぎは繁栄を表し、運を呼ぶ存在。唐紙はデザインではなく、一つひとつに意味や祈りが込められている」と話す。
唐紙は鎌倉時代や室町時代に日本家屋の内装の装飾に使われるようになった。江戸時代に広く普及し武家や商人、茶人に広く親しまれてきた。板木に彫られているのは、動物や松竹梅、幾何学など。1624年創業の雲母唐長には日本で唯一、600枚の板木が保存されている。
1840年前後には京都に13軒の唐紙屋があったという。ところが幕末の64年、長州藩と江戸幕府による「蛤御門の変」で唐紙屋の多くが板木を焼失。明治以降も生活様式の西洋化で、唐紙は徐々に衰退していった。東京では関東大震災や太平洋戦争で受け継がれてきた文化が途絶えてしまった。
現代も住宅の和室が減り、生活の中で唐紙を見る機会は減っている。雲母唐長はこうした時代の変化のなか、板木を守り抜き、現在に至る。経営の苦しい時期には先祖が薬問屋を営み命脈をつないできた。
トトさんが力を注ぐのが唐紙の継承だ。例えばアート作品として再解釈する活動に取り組む。「水や空、地球の色。青で世界がつながっている」と特徴的な青で染められたアート作品。自らの指で和紙を染める特殊な技法を使う。美術展も開き「現代人と唐紙が向き合えるようにしたい」。
きっかけは俵屋宗達の「松図」の修復を手掛けたときだった。「過去の人の仕事があってこそ板木が守られている。自分はバトンを渡された人間として今ここにいるだけ」と実感。唐紙の文化を引き継ぐために自分は何かできないか。2018年7月に発表した「平成の百文様」プロジェクトもその思いの表れだ。
これまで板木を新しく作るという発想はなかったが、民間企業やデザイナー、一般公募を経て、19年5月に百文様を選定した。文様の魅力が高まるよう、多様性を重視した。彫師が1点ずつ板木をこしらえる。1カ月に彫れるのは3枚ほどのため、3年の歳月がかかる。伝統工芸を次世代につなぐのは少数の職人の思いだけではない。現代に生きる一人ひとりの力こそが原動力だ。