輪島塗職人が三度修復 水主町の曳山「鯱」 31年ぶり、9月に新たな姿

13番曳山「鯱」の古く痛んだ塗膜を手作業でかき落とす田谷漆器店の塗師=唐津市北城内の西ノ門館「曳山の蔵」

唐津くんち13番曳山(やま)「鯱(しゃち)」(水主=かこ=町)の31年ぶり4回目の保存修復が、唐津市北城内の西ノ門館「曳山の蔵」で進んでいる。石川県の伝統工芸、輪島塗の技術で作業は行われている。完成まで、さまざまな工程が組まれ、9月に新たに復元した姿を披露する予定だ。

「鯱」の前に立つ古瀬俊明さん(左)と田谷昂大さん

鯱は1876(明治9)年に制作されたが、当時の鯱は現存しない。“初代”は制作から五十余年を経た1928(昭和3)年、総塗り替えに着手したが、痛みが激しく断念。一部の部品を使い、新造することになった。この時、輪島から塗師(ぬし)を招いた。鯱の本体内部の銘板に「石川懸輪島町 塗師五世笹谷宗右衞門」らの名前が記されている。

十三番曳山「鯱」保存修復を手掛ける田谷漆器店の塗師=唐津市北城内の西ノ門館「曳山の蔵」

その後、鯱の修復は2度行われた。66年の修復でも輪島の塗師を招き、本体内部の銘板に「塗師 笹谷孝次郎」の名が残る。88年の修復には福岡・八女の仏壇店に塗りを依頼した。

十三番曳山「鯱」保存修復を手掛ける田谷漆器店の塗師=唐津市北城内の西ノ門館「曳山の蔵」

今年5月の指名競争入札で輪島市の田谷漆器店が請負業者となり、輪島の塗師が三度(みたび)の登場となった。今年のくんちが終わってすぐ、鯱は唐津神社で安全祈願祭を行い、曳山の蔵へ移動。ひれや舌、ひげを解体し、現在は唐津に常駐する同漆器店の職人が本体のひび割れ、漆のはがれなど痛んだ部分を調べている。今後、下地補修、塗り、箔押しなどが予定されている。

解体した鯱のひれ

同店十代目で修復の管理責任者を務める田谷昂大(たかひろ)さん(28)は今年のくんちを3日間目の当たりにした。「熱い祭り。水主町の皆さんの思いをしっかりと受け止め、誇れる鯱に修復したい」と語る。水主町町内会長で保存修復事業実行委員会委員長の古瀬俊明さん(66)も「輪島の技術に期待したい」と新たな姿を楽しみにしている。

唐津市北城内の西ノ門館「曳山の蔵」で保存修復が行われている十三番曳山「鯱」

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