■「心の豊かさが求められる時代」
伝統工芸品が外交の場にアクセントを加えることがある。4月26日、日米首脳会談後の夕食会で、安倍昭恵首相夫人が、メラニア大統領夫人に誕生日のプレゼントを贈った。長崎県波佐見(はさみ)町のマルヒロが手がけた、波佐見焼の茶香炉だった。
その波佐見町を平成26年11月1日、天皇陛下が訪問し、県窯業技術センターを視察された。
昭和5年に開設したセンターは、約90年にわたって窯業の生産技術を高める研究に取り組む。波佐見焼や三川内(みかわち)焼(佐世保市)など、九州を代表する陶磁器作りを支え続ける。
センターには、3Dデータを基に、磁器製造に使う石膏(せっこう)製の枠型を作る機械など、さまざまな装置がある。
ご視察に合わせ、こうした装置と波佐見焼や三川内焼の作品、センターと県内企業が共同開発した製品をずらりと並べた。
センター次長だった阿部久雄主任研究員(63)は説明の補佐役を務めた。「ここでの研究が、製品作りにつながっていることを知っていただきたい、という思いでした」と振り返った。
製品の一つに、持ち手が長く伸びたマグカップがあった。力が弱い人が持ちやすいデザインだった。
陛下はこのカップに関心を示し、「このハンドルに機能があるんですか」と質問された。縁の周りにくぼみをつけて強度を増した給食用の食器には「どこで売られていますか」と尋ねられた。
太陽の光などを吸収し、周囲が暗くなると光る蓄光セラミックスや、微細な凹凸を利用し、写真を磁器タイルで表現する技術も紹介した。
阿部氏らは「装置や技術が分かりやすく伝わるように」と心がけたが、解説には難解な専門用語も交じった。
陛下は熱心に耳を傾けられた。阿部氏の目には、産業の今を理解しようと努めるお姿が、焼き付いている。
「説明の一つ一つに、必ず質問や感想を語られた。全てのものに関心を持っていただいた。象徴天皇の姿を追求しているからこそ、国民と接する一つ一つの場面で、何かの思いをお持ちになるのだろう」
ご滞在中、センターは緊張で張り詰めていた。お帰りの間際、それが解けた。
玄関前に多くの町民が集まっていた。
とっさに陛下は、車に乗り込む予定を変更された。町民に歩み寄り、握手をし言葉を交わされた。それは長い時間続いたという。
陛下が訪問されたという事実は、今もセンター関係者を励ます。
現所長の中野嘉仁氏(58)は「焼き物の産地は、後継者の確保が大きな課題です。令和の世に訪れる変化も吸収し、伝統産業を盛り上げる力添えをしたい」と語った。
◆美しさを追求
同じく陶磁器の里である佐賀県有田町で、天皇、皇后両陛下の笑い声が製陶工房に響いたことがある。
平成14年10月6日、お二人は、370年以上の歴史を持つ柿右衛門窯を視察された。
案内したのは、前年に国の重要無形文化財保持者、いわゆる人間国宝に認定された、十四代酒井田柿右衛門氏(故人)だった。
柿右衛門様式は「濁手(にごしで)」と呼ばれる乳白色の磁肌と、左右非対称の絵付け、余白の美しさを特色とする。江戸時代にはオランダ東インド会社を通じてヨーロッパに輸出され、王侯貴族の宮殿にも飾られた。
今も工房では、昔ながらの手作業で、大勢の職人が磁器を作る。
両陛下は、ろくろでの成形や、繊細な絵付けの様子をご覧になった。ベテランぞろいの職人は、全員顔を上げられないほど緊張したという。
その一人、副島重喜氏(61)は、皇后さまから「その道具の名前は何ですか」と質問された。「弓」と呼ばれ、器の縁の凸凹を切り落とす「糸のこ」のような道具だった。
副島氏は「目の前で声をかけられ、心臓が高鳴りました。お二人とも、終始穏やかな表情でした。仕事を見ていただき、本当に励みになりました」という。
十四代と両陛下のやりとりの記録は残っていない。
柿右衛門窯の支配人、石井孝実氏(58)は「十四代は常々『きれいなものより、美しいものが良い』と言っていた。整いすぎていない方が、自然で美しいと。おそらく、そんな話をしたのだと思います」と語った。
ただ、センター関係者は、両陛下がはじけるような笑顔をされたことを覚えている。十四代が、何か冗談を言ったのかもしれない。
お二人が帰られた後、陛下が想像通りの優しいお人柄だったこと、皇后さまがとにかくお美しかったことが話題になったという。
陛下は平成16年10月に福岡県で開かれた国民文化祭で「近年、心の豊かさが以前にも増して強く求められるようになり、国民の文化に対する関心が高まっています」と述べられた。
その上で、日本各地で培われてきた伝統の文化や芸術・芸能の継承発展の重要性を説かれた。長崎や佐賀で、職人の姿をご覧になったことも、こうした思いとつながっているのだろう。(九州総局 高瀬真由子)