紙幣の彫刻師、迫る出番 「現金大国」支える職人技

政府・日銀は2024年度に新しい1万円、5千円、千円の紙幣を流通させる。3次元(3D)のホログラムといった最新の偽造防止技術を採用するが、大本の原版は国立印刷局の専門職員が手作業で彫る。ほぼ20年に1度しかない紙幣刷新のために、技術を毎日磨き続けている。「現金大国」を陰から支える職人芸に迫った。

「彫刻師の顔は撮らないでください」。17日、印刷局が報道陣を対象に開いた東京工場の見学会。紙幣のデザインを印刷するために必要な原版を彫る作業の取材では、職員から注意が飛んだ。極めて高い技術を持つ職員は秘中の秘。「紙幣偽造などの犯罪に巻き込まれるリスクを防ぐため」と職員は説明した。

紙幣の原版はビュランという特殊な彫刻刀で金属板に彫る。ルーペをのぞき込みながら、1ミリメートル幅に10~20本の線を入れていく実に細かい作業だ。印刷局の工芸部門に所属する彫刻師はわずか10人。「一人前になるまでには10~20年かかる」。松村武人理事長はこう語った。

金属板に熊本城を彫る国立印刷局東京工場の彫刻師(17日、東京都北区)

版はお札の裏表で1枚ずつ必要だが、一度作ったものは複製して使い続ける。実際に紙幣用の原版を彫るのは改札のタイミングだけだ。約20年に1回訪れる「本番」のために彫刻師らは風景画などを題材に日々鍛錬している。見学会で彫刻師は左右反転させた熊本城の絵を忠実に再現していた。

製版以外の造幣工程でも職人技が光る。大判用紙に20枚ずつ印刷された紙幣は、まず機械で色合いや汚れを検査する。機械では見極めきれない白い筋や、微妙なインクの濃淡を見つけるのは人の目だ。大部屋の検査室では、検査員がパラパラとリズムよく大判の束をめくっていく音が響いていた。1枚あたり1秒という速いスピードで、残像によって微少な違いを判断するという。

精緻な日本の現行紙幣の「すかし」(上)。写真中央はユーロ紙幣、下はドル紙幣(17日、東京都北区)

世界の紙幣の中でも偽造されにくいとされる日本のお札。国産第1号は明治初期にさかのぼる。外国人技師を雇い、肖像の彫刻など製版技術を教わった。肖像画はわずかな筆致の違いで表情が変わるため、紙幣の偽造防止に有効とされていた。

当初は印刷機械を外国から輸入していたが、今では機械もインクもすべて印刷局が独自に開発している。下絵の製図や原版の彫刻といった工芸部門も全て自前だ。一方、海外では造幣作業の一部または全部を国内外の民間企業に委託している。

「出荷」に向けてベルトコンベヤーで移動する1万円札の札束(17日、東京都北区)

紙幣の自前生産を貫く日本の技術への関心は高い。印刷局はインドネシアやベトナムなどの新興国にインキ技術を伝授している。だが「すかしや彫刻といった根幹技術は一切公開していない」(松村理事長)。

24年に発行する新札では新技術も採用する。「おお、浮かび上がっている」。新1万円札に導入予定のホログラム技術を見て、記者団からは驚きの声があがった。現行の紙幣のホログラムは、角度によって見えるデザインが入れ替わる2次元のものだが、新紙幣では3次元となる。まるでディズニーランドのお化け屋敷「ホーンテッドマンション」にある肖像画のように、紙幣を動かすと浮かんだ肖像が左右に「回転」する。

印刷途中の1万円札(17日、東京都北区)

財務省によると同技術の銀行券への採用は世界初だ。1万円札や5千円札は縦長の帯(ストライプ)状、千円札は丸いパッチ状のホログラムになる。

お札を光にかざすとデザインが透けて見える「すかし」の技術も進化している。紙を作る工程で、厚さをわずかに変えて模様を描くが、新紙幣では虫めがねを当てないと見えないほどの細かい模様も採用する。現行の紙幣でもドル紙幣やユーロ紙幣より精細な模様だが、模倣するのは一層困難になる。

裁断機に入る1万円札が印刷された大判用紙(17日、東京都北区)

新紙幣の印刷が始まるのは2年半後の21年度だ。新たに採用した偽造防止技術の量産体制の整備に加えて、自動販売機など紙幣を取り扱う業者への対応も進める必要がある。

政府は25年にキャッシュレス決済の比率を現在の20%から欧米並みの40%に引き上げる方針を掲げる。だが、日本は世界でも現金比率が突出して高い。高齢者など利用者側への浸透や店側のインフラ整備といった課題もあり、キャッシュレス化は簡単には進まないと見る向きは多い。「まだまだ紙幣の需要は高く、我々も技術を磨き続ける必要がある」。印刷局の中村毅総務課長は気を引き締めていた。

元記事はこちら

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次