雄勝硯

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特徴・産地

雄勝硯とは?

雄勝硯(おがつすずり)は、宮城県石巻市雄勝で作られている硯です。硯工人が1つ1つ丁寧に手で彫り、磨いて作っています。伊達藩の庇護を得られたこと、また、良質な原材料が豊富に採石できたことから、生産が盛んになりました。

雄勝硯の特徴は、光沢のある漆黒や美しい天然の石肌模様、墨がすりやすく色の出も良いという使いやすさ、劣化に強いことなどです。その高い耐久性は、原材料である雄勝石(おがついし)が持つ性質のおかげといって良いでしょう。雄勝石は、黒色硬質粘板岩の一種で玄昌石(げんしょうせき)とも呼ばれ、圧縮や曲げに強く、吸水率が低く、硯以外では屋根などの建築資材として使われる他、石皿などのテーブルウェアなどとしても利用されるようになりました。

雄勝硯の生産は、東日本大震災の影響で一時停止していました。幸いなことに、技術も採掘場も失われておらず、復興も始まっています。

歴史

雄勝硯の起源は室町時代頃です。1396年(応永3年)の建網瀬祭初穂料帳(たてあみせまつりはつほりょうちょう)の中に硯浜の名称が出てきていることから、この頃にはすでにあったのではないかと言われていますが、詳しいことは分かっていません。

江戸時代に入り、伊達政宗に雄勝硯を献上して気に入られたという逸話も残っています。伊達政宗の墓から雄勝硯が出てきていることからも、伊達政宗は雄勝硯を愛用していたことが伺えます。硯師2代目忠宗もからも愛され、ついに伊達藩のお抱えとなります。硯師だけでなく採掘場も伊達藩によって保護され、ますます栄えていきました。封内風土記(ほうないふどき)によると、江戸後期には特産品となり、雅物として扱われていたことが分かります。

1985年(昭和60年)に雄勝硯は伝統工芸に認定され、美しく実用的な雄勝硯の技術は現在にまで受け継がれてきました。

制作工程

宮城県観光課

1.縁立て(ふちたて)

「縁立て」とは、硯の縁となる部分の輪郭を作っていく工程です。
硯は1枚の石から作るため、露天掘りで採石した石を選別し、製作する硯の大きさに合わせて切断する必要があります。採石・切断しただけでは、表面が滑らかではありません。川砂と水を使った「砂すり」で、表面を滑らかにします。表面が滑らかになったら、いよいよ縁立てです。縁とは、硯の外周の盛り上がった部分のことです。硯の形に合わせ、縁と海・丘の境目を彫り鑿(ほりのみ)または小丸鑿(こまるのみ)で削り、縁の輪郭を決めていきます。
なお、海とは墨汁をためておく部分です。硯海(けんかい)、墨池(ぼくち)、硯沼(げんしょう)、水池(すいち)、池などと呼ばれることもあります。丘とは墨をする部分のことです。墨堂(ぼくどう)、墨道(ぼくどう)、陸(りく)などとも呼ばれます。

2.荒彫り(あらぼり)

「荒彫り」は、全体の大まかな形を作る工程です。「縁立て」で作った縁に沿って、鑿で海と丘を彫ります。「荒彫り」で使うのは、くり鑿(くりのみ)という大きなノミです。とても力の必要な工程であるため、全身を使って彫り上げます。なお、硯の縁などに装飾を施す場合は、「荒彫り」の後に「加飾彫り(かしょくぼり)」の工程が必要です。

3.海彫り(うみぼり)

「海彫り」は、硯の海部分を作り上げていく工程です。墨汁をためておくための海だけでなく、丘から海へのなだらかな傾斜も作ります。なお、海広さや深さは決まっており、広さは硯全体の1/3、深さは一番深い部分が硯の厚み全体の2/3です。深谷さ広さ、傾斜の滑らかさなどを手で触って確認しながら彫り進めます。

4.磨き

磨きは、表面を滑らかにしつつ、形を整える工程です。「中磨き」、「外磨き」、「仕上げ磨」の3段階で構成されており、段階に合わせて砥石や耐水ペーパーを使い分けます。

5.底を平らにする

硯の底は、硯を支える重要な部分です。本工程では、使用時に硯が安定するよう、底を平らに削ります。

6.仕上げ

仕上げの方法は大きく3種類あります。1つ目は「つや出し仕上げ」です。漆(うるし)を使って美しいつやを出します。2つ目は「焼き仕上げ」です。「漆巻き」後に焼くことでつやを消します。3つ目は、「墨引き仕上げ」です。「墨引き仕上げ」では漆の代わりに墨を使って仕上げます。いずれの方法も硯の耐久性が高まり、また異なった味わいが楽しめる仕上げ方法です。

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