31日未明に火災に遭った那覇市の首里城には、秋田県大館市の曲げわっぱ伝統工芸士・栗盛俊二さん(71)が復元した琉球王国時代の工芸品が所蔵されていた。「苦心して制作した品が灰になってしまったとすれば、残念でならない」と栗盛さんは嘆く。
「まさか、うそだろー、とびっくりした」。栗盛さんは31日朝、宿泊していた都内のホテルでテレビニュースを見て、火災を知った。
栗盛さんによると、2006年ごろ、首里城の復元事業に携わる関係者の訪問を受けた。琉球王国時代に使われ、太平洋戦争で焼失した「食籠(じきろう)」という容器などを復元したいとの依頼で、曲げわっぱと同じ曲げ木技術を用いていたことから、職人歴約40年の栗盛さんに依頼が舞い込んだ。
「難易度は高く手間もかかりそうだったが、経験を元に何とか対応できそうだと考え、引き受けた」。資料を基に書き起こされた図面を頼りに、秋田杉を使って制作。杉板を巻き付けて固定する型を作るところからの作業で、納品までには優に1年以上を要した。沖縄に運ばれた後、漆が塗られ完成品となった。
首里城公園管理センターによると、所蔵する工芸品は、全焼した正殿に近い収蔵庫などで保管していた。火の手は収蔵庫にも及んだものの、耐火性のある建物だったため焼け残った物がある可能性もあり、確認中だという。
栗盛さんが経営する大館市の曲げわっぱ製造販売「栗久(くりきゅう)」には、当時作ったものと同じ型で直径40センチ前後の食籠と台が保管してある。「また復元を依頼されたら協力したい」と栗盛さんは話している。