鹿児島)薩摩藩支えた鉱山 谷山で歴史や工程紹介の展示

錫の茶壺を手にする志賀美英さん=鹿児島市谷山中央1丁目

薩摩藩が経営した5鉱山の一つで、鉱山技術が幕末の集成館事業の礎にもなったという錫山(すずやま)鉱山の歴史を紹介した「金属鉱物資源展 特集錫山鉱山遺構」が、鹿児島市の谷山サザンホールで開かれている。

錫山鉱山は、現在の同市下福元町錫山地域にあった国内有数の錫鉱山。1655(明暦元)年、薩摩藩第2代藩主島津光久の家臣が錫鉱脈を発見し、藩の大きな財源になったとされ、伝統工芸品の薩摩錫器(すずき)の誕生にもつながった。明治期以降は島津家などが経営、昭和60年代に閉山した。

島津家の家紋の入った坑口(パネル)

現地には今でも、坑内掘りや露天掘りの「採鉱」跡、鉱石を運んだトロッコのレールなどの「運搬」設備跡、有用な鉱物を選別する「選鉱」、鉱物を金属にする「製錬・精製」など一連の作業工程が分かる貴重な遺構が多数残る。展示会を企画した鹿児島大名誉教授(鉱床学)の志賀美英さん(71)によると、野ざらしの状態で大雨などによる風化が進んでいるという。

薩摩錫器の木製型(花瓶用)

栄えた当時をしのばせるものとしては、山師(やまし)と言われた鉱山業者の住居跡や墓石、通行人をチェックした手形所跡を示す石碑などがある。鉱夫らの安全を祈願した神社は今も残り、鉱夫らの力試しを兼ねて神社に奉納したのが起源とされる相撲大会は、今年11月で362回を迎える。

トロッコの車輪

展示は、採掘された錫鉱石や正錫でつくられた茶壺(つぼ)や大皿など約30点。和歌と松竹梅の文様が彫られた3段重ねの盃(さかづき)、家紋が入った小物入れなどもある。島津家の家紋の入った坑口や江戸時代の坑道や鉱床の露天掘り跡などを紹介した約20点のパネルも。

露天掘り跡(パネル)

志賀さんは「地域財産の立派な遺構が身近な所に残っていることを知ってほしい。放置していれば消えてしまう。誰でも見学できるよう残していくべきだ」と訴える。

27日まで。23日は休館。入場無料。

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