裁判所書記官から職人に 会津木綿作りの技磨く 若松の庵原敦子さん

裁判所書記官から職人になった庵原さん

裁判所書記官などを約二十年務めた庵原(いはら)敦子さん(43)=会津若松市=は三月から、会津若松市の山田木綿織元で会津木綿の職人として働いている。第二の人生をものづくりに懸けたいと一念発起し、新たな道を歩み出した。作品を生み出す現場に日々身を置き充実感を抱く。

宮城県岩沼市出身。東北大法学部を卒業後、二〇〇〇(平成十二)年に仙台地裁古川支部事務官になり、仙台地裁書記官や最高裁の経理部門係長などを歴任した。

「手に職を付けたい」と昨年三月に仙台家裁主任書記官で依願退職、翌月から京都市の芸術学校で染織を学んだ。以前から風合いを気に入っていた会津木綿の職人を志し、ホームページで見つけた山田木綿織元に直接電話、就職を申し込んだ。熱意は伝わり、異色の経歴ながら採用が決まった。

現在、機織り機に縦糸を通す仕事をしている。職人六人の中では最年少。「きちんと技術を身に付け、全工程を早く覚えたい」。先輩の手仕事を見ながら技を吸収する毎日だ。

社内で庵原さんの採用を強く主張した営業・商品開発担当の山田厚子さん(68)は「指示をしなくても『私がやります』と進んで仕事をしてくれる」と評価し、成長を期待する。

会津木綿は衣服から小物まで用途は幅広い。消費者を魅了し続けるには確かな技に裏打ちされた斬新なアイデアが求められる。庵原さんは「将来は時代に合わせたデザインを自分で考えていきたい」と目標を掲げる。

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