「黒紋付染」現代にアレンジ 老舗4代目、中村友亮さん

絹地を深みのある黒色で染め上げ、白く残した部分に家紋を描く。「名古屋黒紋付染」は江戸時代から続く伝統的工芸品だ。着物文化が薄れる中、創業100年を迎えた「山勝染工」(名古屋市)の4代目、中村友亮さん(39)は、染色技術を生かしたストールなどの現代ファッションに活路を見いだそうとしている。

「山勝染工」4代目の中村友亮さんは継ぎ足しで守られてきた染料を使い、深みのある黒色を生み出す

「紋付」とは家紋の付いた着物や羽織で礼服として着用される。黒紋付染は江戸初期、尾張藩の職人が幟(のぼり)などを製造したのが起源という。染色の際に、家紋をかたどった和紙製の紋型紙を張り合わせて白地の部分を残すのが特徴だ。1919年(大正8年)創業の山勝染工では継ぎ足しで守られてきた染料で黒く染め、色落ちを防ぐため一晩水につけるなど丹念に作り上げられる。

老舗の3人兄弟の次男として生まれた。幼少期はバブル景気で着物が1着500万円で売れる時代。「甘い世界」の印象が強かった。大学では電気工学を専攻し家業を継ぐ気はなかったが、就職を控えた頃に父ががんを患った。「このままだと伝統は途絶えてしまうのかな……」。軽い気持ちで手伝うことを決めた。

職人の世界は厳しかった。「工夫しろ」。経験が浅いからといって、父は色の調合や染め方の技術を丁寧に教えてはくれなかった。1年後、同じく黒紋付染が盛んな京都に修業へ。師匠に積極的に質問し、雑用も進んでこなした。人脈づくりに奔走し、いくつもの染色工場に足を運んだ。「何となく」で始めた意識は次第に変わっていった。

1年後に名古屋へ戻ると、「染色についての会話」が父とできるようになっていた。直接褒めることはしないが、外では息子と一緒に仕事をすることを喜んでいた父が2012年に亡くなり、家業を継いだ。

パソコンとインクジェットプリンターがあれば安く着物が作れる時代。着物需要の減少や担い手不足で最盛期は名古屋に100軒以上あった染物屋は現在数軒にすぎない。それでも「表面を印刷するだけでは深みや奥行きのある濃い色は創れない」との信念がある。

営業マンだった兄も家業に戻り「日常的に使えるものを」と、自社で染めたストールやTシャツ、タオルをインターネットで販売したところ海外を含め手応えがあった。テレビCMや映画で使われる衣装の着物の染色も請け負い、新たな試みの幅を広げている。「若い人に『かっこいい』と思ってもらい、職人も育てたい」。体験会も催しており、着物文化と染め物の街「名古屋」の復活を願う。

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