仙台の伝統工芸「柳生和紙」技は次代に 90歳の佐藤さん紙すき引退、長女が跡継ぎサポートへ

巧みな手さばきで紙をすくふみゑさん(中央)。来年以降は村上さん(左)に託す。右は平治さん=仙台市太白区柳生の「柳生和紙工房」

 仙台市太白区柳生地区で約400年前から続く伝統工芸「柳生和紙」を半世紀にわたり守り続ける「柳生和紙工房」の佐藤ふみゑさん(90)が、今年の和紙作りを最後に現役を引退する。紙をすく作業は重労働で体力の限界を感じた。来年以降は長女の村上恵子さん(69)に任せてサポートに回る。

 パシャ、パシャ。約60平方メートルの小さな工房に水が跳ねる音が響く。ふみゑさんが「簀桁(すけた)」と呼ばれる道具を持ち上げて和紙液に潜らせ、手際良くすくい上げて前後左右に揺らす。隣の部屋では夫の平治さん(94)らが機械でゆっくり繊維をほぐし、和紙液の原料を作る。

 伝統の柳生和紙を受け継ぐ唯一の工房は、9代目のふみゑさんと平治さん夫妻が二人三脚で営む。ふみゑさんが担う紙すき作業は10月から翌年5月ごろまで寒い時期を中心に行う。ぬくもりのある上質な和紙は、冷たい水の中から生まれる。

 宮城県鹿島台町(現大崎市)出身で、19歳で嫁いだふみゑさん。40歳ごろ手すき和紙の世界に飛び込み、8代目で義父の平三郎さん=1980年死去=の手ほどきで技術を磨き、9代目を託された。

 「先代はなかなか道具を触らせてくれなかった。不在の隙に使ってみて、見よう見まねで技術を学んだ」と当時を振り返る。会社員だった平治さんも55歳で仕事を辞め、ふみゑさんと和紙作りに明け暮れた。

 約30年前のピーク時は、仙台の縁起物の「松川だるま」や市内の菓子店の包装紙などの注文が殺到し、年間4万~5万枚を作った。現在もカレンダーやはがき、便箋、卒業証書など5000枚を製作する。

 ふみゑさんが家族に引退の意思を明らかにしたのは今年になってから。腰痛が悪化するなどして紙すきの重労働が難しくなり、体力が続かないと判断した。

 「先代は紙すきが大好きだった。途絶えさせるわけにはいかない」。そう語るふみゑさんの思いを察し、村上さんは跡を継ごうと決めた。小学生から紙すきに触れており「母の技術を受け継ぎたい」と意気込む。

 近年は原料となるコウゾの輸入価格が高騰し、和紙作りの環境は厳しくなる一方だが、工房を訪れる外国人観光客が増えるなど光明もある。「紙すき体験ができる柳生和紙の伝承館を造りたい」。ふみゑさんは引退後の夢を膨らませる。

[柳生和紙]約400年前、仙台藩祖伊達政宗が職人を招き、名取川近くの仙台市太白区柳生地区に根付かせた手すき和紙。原料となるコウゾの木の皮を100%使用し、薄くて丈夫な紙質を特徴とする。明治から大正にかけての最盛期には地区内の約90軒が手掛けていたが、1970年代以降は佐藤家1軒が伝統を継ぐ。

 

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